【表#002】

#社交的パーツ(ANP)作成。

「おまえは自分と人と向き合うことから逃げている、」
「人を避ける癖ができている、」
「批判を貰うことに恐さを覚えて逃げる癖ができてしまっている。」

上の3文は、とある人から頂いた言葉である。とある人、というと、自分と似ていないようで似ている環境で生き抜いた脳性麻痺を抱えた虐待サバイバーさんである。(匿名)

両親以外からまともなご意見を頂いたことがなかったので絶対に忘れてはいけないとメモしておいたものです。

そう、私はーーーによるトラウマから、
人とは全くと言っていいほど話が通じないような(対峙できないような)脳みそのつくりになってしまっているのである。
もちろん主治医の先生ともそうであって、あえて診察の場も「対峙するという言葉で著している。
これの時点ですでにトラウマから身を守る態勢が完全に出来上がっている。トラウマと向き合おうとすると
なんというのだろうか、頭の中をかき混ぜられている感じと言った方がいいだろうか。
(医学用語か、心理学用語で「離隔」と「区画化」というものがあって、私の脳みそはそのトラウマにアクセスできないように整備されているような感覚なのだ。)
その状況の脳みそをガシッと手でつかまれているような感じ。になる。

話が飛んだりしてしまうのも、‟それ”が原因であると私は思っている。

しかし、
トラウマと向き合うにはあまりに身体的な苦痛が伴う。
激しい頭痛、パニック、吐き気(嘔吐)、焦燥感、不安感、悪夢など。心が震えているという表わし方もしている時もある。

アニメやドラマでフラッシュバックなどで倒れたりするなど‟よくあるやつ”の現実バージョン。

かなりしんどくて、食に走ったり、逆に食べられなかったりする。
上に書いたみたいに、激しい身体症状が出てくる。

あまりに困難で。中二病溢れる感じの描写になってしまうのには少々反論したくなるくらい苦痛なのである。
それから、周りからは馬鹿にされてばかりの毎日。
みんなができるようなあたりまえのことが不可能だから。

「馬鹿にされる」というのも、私にこんなことがあるなど、経験していない人間に理解などしてもらうことさえもほぼ不可能。
主治医の先生にも理解してほしいとまでは思っていないくらいのレベルで分かるはずないなと思っている。

分かろうとしてくれる姿勢だけでももうありがたいと思う。

トラウマから目を背ければ最小限の苦痛で済む。
でも何とかしないと「自分」の苦痛はさらに募るばかり。
それから、別のダメージがついてきてしまう。

あともう一つあって。
「病人として蔑まれたいのか、そういう部分をどうにかしていきたいかの二択を迫るつもりだ」ということも過去にご意見として頂いている。

この三つはどれもなくてはならないものであって、あってはならないものでもある。それがすべて。
生まれたトラウマというものは
「人間関係の破壊」でしか生かされないということも身にしみてわかった。



自戒を込めて。 2023/01/22 18:13