自己存在の決定に終止符を…!

 

 

 

『自分が分からない』。

 

私にはこの状態が少なくとも中学生の頃から続いていた。

この事で他人に全く迷惑をかけてこなかったつもりであったが(指摘を受けることが多かったが、それでも一時的)その分、自分自身だけでのダメージは莫大になっていった。

 

就職活動では、大切な生活史の一部が抜け落ちていたものの、

の対人はとても元気で 

最終面接まで軽いノリで進んでいくなど、順調っぷりを見せた。 【表】

 

しかし、対人では出すことのない“の自分”が精神的にダウンしており、動けなくなることが多くなった。

 

私の明らかに惰性が優位な生活をずっと、親からは怠けだと言われ続けてきていたのもあるし、(もともと褒めることをしない親だが)自分自身もそれが「当たり前」だと思ってずっと過ごしていたため、長時間放置した状態で毎日を過ごしていた。 【表】

 

 

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―――『自分を知ること』、『自己分析』。

 

一方で、ここ数年の「の自分」は、

実はそれは自分の『病気』というか『障害』なのかもしれない(ともいえるかもしれない)という所までやっとたどり着いた。 

これのためにやってきたことは論文5本、関連書籍は10冊以上読 了、その他個人的な録音、記録、撮影など。

 

ここ2年半でここまで来るのに本当の労力が掛かった。お金も掛かった。【裏】

 

(それの2年前くらいから親を親として見ていない位のレベルまで達していたが。)【表】

 

最終的に時系列で考えると、この4年間で

自分という人間のあり様にどんでん返しが2度3度。【裏表】

 

自分という存在の衝撃がかなり大きな精神的身体的経済的ダメージ、特に自己肯定感の低下を引き起こして散々だった。今まで息をしていた「私」は何者だったのかと。

挙句の果てには表の自分、裏の自分、更に周囲の人間すらも巻き込んだ。

 

幸い、精神科医の助言により救済された。

今の私には生きがいというものが「主治医と話すこと」であり、

かなり助かっている。

 

よく「厨二病」や「ファッション」「メンヘラ」と片付けられてしまい、他者から見ればいわゆるただの“痛い・落ちこぼれ”で終わるけれど 【表裏】

 

この自己存在の決定には絶対に精神科に通院が必要な

ほどの大きな問題であって【裏】

 

私にとってはそれが‟ソレ”で収まらないし

収めたくも無い。

 

早く誰かに私の自己存在の決定に終止符を打ってほしいと願うが、

それも私のやるべきことなのでかなりの時間を要するのかもしれないと 思う。

 

【参考資料(独自)】 ※使っているノートたち 【裏】

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