最近何に困っているのかをまとめてみた。
閲覧ありがとうございます。
ほぼ自分用で、現状をまとめるためにこの場をお借りしています。水曜日が通院日なのでメモ代わり。
今の私には、下記のような症状、混乱などの気持ちや感情を伴っていない状態です。
①
私の中での問題は、キラキラした名前の人格がいるとかしょーもない言い訳とかじゃなくて同一性の混乱、それに付随する身体症状、健忘に対しての焦り、その時の感情が分からない思い出せない、孤独との戦い、それだけの話。
— 京🍊と凛@連絡網 (@https__x) 2023年1月16日
② -
③
今から朝の散歩行くことにします
— 京🍊と凛@連絡網 (@https__x) 2023年2月4日
おはようございます🙇🏻♀️
④
寝ている間
— 京🍊と凛@連絡網 (@https__x) 2023年2月10日
肩も凝るし寝た感じしないし最悪1時間に何回も起きてる
⑤
1ヶ月先までの診察日までもう決まってんのほんと死ぬ
— 京🍊と凛@連絡網 (@https__x) 2023年2月6日
⑥
もはやトラウマとか言うやつも解離症状でその記憶ない説は多分ある
— 京🍊と凛@連絡網 (@https__x) 2023年2月10日
⑦
この垢のメイン運営入れ替わってる
— 京🍊と凛@連絡網 (@https__x) 2023年2月1日
(私は誰なの)
⑧
寝ている間
— 京🍊と凛@連絡網 (@https__x) 2023年2月10日
肩も凝るし寝た感じしないし最悪1時間に何回も起きてる
➈
— 京🍊と凛@連絡網 (@https__x) 2023年2月13日
⑩
今日なんか鬱強め
— 京🍊と凛@連絡網 (@https__x) 2023年2月15日
なんか今日鬱強めだったけどクエチアピンぶち込んで寝たら治った。(もう寝れない)
— 京🍊と凛@連絡網 (@https__x) 2023年2月16日
『経過報告』
2/15~2/16にかけて。
⑪
なんかごめん。https://t.co/c982B2WZZ4
— 京🍊と凛@連絡網 (@https__x) 2023年2月17日
⑫
— 京🍊と凛@連絡網 (@https__x) 2023年2月17日
このまとめ作っている時も
自分に起こったことを自分にやってあげているという私と、自分事じゃないけど淡々と自分の事のようにする私。
ってなってて意味不明。
せめてそのタイミングというものを予兆できたらいいんだけれど。なかなか難しいところ。
右手だけ異様に冷える。
あ、そう。
先日外出した時に、
仲良くやっているような通りすがりの親子がすごく憎くなって仕方なかった。もともと、『普通の家庭』に憧れてて。それから、上手に友人、社会を頼れている感じが欲しくて。でもそれって愛着の問題が絡んでくるんだってことを勉強した。安定型の愛着を形成したい。そうしないと地域の子供たちへも傷つけることになってしまう。
まあ、ただの通りすがりの太ってる女の人には変わりないのだけれど‥‥。
https://twitter.com/https__x/status/1626856881808617474?s=46&t=-NZPjx18BFGZyiWrxuXa3Q
外出した時に借りた本。
【表#002】
#社交的パーツ(ANP)作成。
「おまえは自分と人と向き合うことから逃げている、」
「人を避ける癖ができている、」
「批判を貰うことに恐さを覚えて逃げる癖ができてしまっている。」
上の3文は、とある人から頂いた言葉である。とある人、というと、自分と似ていないようで似ている環境で生き抜いた脳性麻痺を抱えた虐待サバイバーさんである。(匿名)
両親以外からまともなご意見を頂いたことがなかったので絶対に忘れてはいけないとメモしておいたものです。
そう、私はーーーによるトラウマから、
人とは全くと言っていいほど話が通じないような(対峙できないような)脳みそのつくりになってしまっているのである。
もちろん主治医の先生ともそうであって、あえて診察の場も「対峙するという言葉で著している。
これの時点ですでにトラウマから身を守る態勢が完全に出来上がっている。トラウマと向き合おうとすると、
なんというのだろうか、頭の中をかき混ぜられている感じと言った方がいいだろうか。
(医学用語か、心理学用語で「離隔」と「区画化」というものがあって、私の脳みそはそのトラウマにアクセスできないように整備されているような感覚なのだ。)
その状況の脳みそをガシッと手でつかまれているような感じ。になる。
話が飛んだりしてしまうのも、‟それ”が原因であると私は思っている。
しかし、
トラウマと向き合うにはあまりに身体的な苦痛が伴う。
激しい頭痛、パニック、吐き気(嘔吐)、焦燥感、不安感、悪夢など。心が震えているという表わし方もしている時もある。
アニメやドラマでフラッシュバックなどで倒れたりするなど‟よくあるやつ”の現実バージョン。
かなりしんどくて、食に走ったり、逆に食べられなかったりする。
上に書いたみたいに、激しい身体症状が出てくる。
あまりに困難で。中二病溢れる感じの描写になってしまうのには少々反論したくなるくらい苦痛なのである。
それから、周りからは馬鹿にされてばかりの毎日。
みんなができるようなあたりまえのことが不可能だから。
「馬鹿にされる」というのも、私にこんなことがあるなど、経験していない人間に理解などしてもらうことさえもほぼ不可能。
主治医の先生にも理解してほしいとまでは思っていないくらいのレベルで分かるはずないなと思っている。
分かろうとしてくれる姿勢だけでももうありがたいと思う。
トラウマから目を背ければ最小限の苦痛で済む。
でも何とかしないと「自分」の苦痛はさらに募るばかり。
それから、別のダメージがついてきてしまう。
あともう一つあって。
「病人として蔑まれたいのか、そういう部分をどうにかしていきたいかの二択を迫るつもりだ」ということも過去にご意見として頂いている。
この三つはどれもなくてはならないものであって、あってはならないものでもある。それがすべて。
生まれたトラウマというものは
「人間関係の破壊」でしか生かされないということも身にしみてわかった。
自戒を込めて。 2023/01/22 18:13
【表#001】
本日も閲覧ありがとうございます。
私のtwitterが一人で(勝手に)暴走してしまっているので。
どうしても「個人」としてみたときに
支離滅裂、混乱が生じてしまって、望まなくとも、場所を変えないと秩序が保てない状態なう。です。
書きたいこととして何かの型にはまるのは苦手なことが分かったので、「定型文」とかいうものをを抜きにしてブログを書いていこうと思います。(今までは無理やりその型に当てはめていましたが、時間もかかるしもう無理があることを悟りました。)
読んでくださっている方々は、ハッシュタグとタイトルを頼りにしたほうが整理されて読みやすいと思います。
近況を挙げると。
先日、近くの神社にお参りをしてきました。結構な完璧主義(っていうか細かい)なのでちゃんと一つ一つ手順を踏んでいかないと神様は私の味方になってくれないんじゃないかなって思ってて。丁寧にお祈りしてきました。
それから、自分の日常生活を回すのに精いっぱいで全然最近のトレンドに乗れていないことに気が付きました。
体感的には、2023年から2020年にタイムリープした感じなので「私の時間軸、「お疲れ。」」っていう感覚です。この感覚が読んでる方に伝わればいいのですが…。
日常生活を送っているとどうしても他者(第三者)が自分の日常生活の中に介入する形になってしまうので、完全に自分のことは後回しになってしまうのがオチなんです。しかも数か月~年単位で。
他者の動きを見て常日頃自分を抑えて動いているのが私なのでしょうがないですね。(いや、しょうがなくはない)
おかげで(っていうのは少し違いますが)、戸籍関係や書類関係の類が手付かず状態で。
色々目を通してニュースも見て、「政治」「金融」「社会情勢」などを勉強しないとと思っています。
また、自分の病態を正確に主治医の先生に診てもらいたいので初めて「動画編集」というものをしてみました。元々、PCを触っていることが多いので簡単かな・・・と思っていましたが思考が舐め腐ってて洗礼を受けました。(笑)結構大変。
結局見様見真似で2時間の動画を編集加工で30分程度にまとめるのに1日掛かってました。
___________
最後になりますが、(少し重い話)
区役所の保健師さんに少し家庭の事情について相談してきました。
小さいときから抱えていた「外部に漏れることのなかった重いもの」について。小さいときは自分の親を悪者扱いしてはいけないというか、洗脳させられまくりだったのでそれが当たり前でしたが解毒を進めていくとその当たり前が当たり前ではなくなっていたので初めて自分の口から説明してきました。
まとめると「今までの家族関係のもつれで解離症状、そして家に寄りつけない」っていう話の中身。これを前の主治医に相談したら区役所の保健師にとたらい回しにされたので行ってきました。
でも。
「解離」についてはただでさえ精神科医の間でも詳しい先生とそうでない先生がいる中で
一般の方に話をしても理解されないというか、周知されていないというか、知ったところで意味がないみたいなところがあるのであまり深く説明しなかった。(できなかった)
端的に言うと、「高校の時から家に帰るのが怖くてカラオケとか凄い行ってて帰るまで時間つぶししててその浪費をどうにかしたい」と。
やはり行政としては「虐待など緊迫したもの(包丁とか)でないと対応できない。どの立場で来ているのだと言われて逆に訴えられるため動けない」とのこと。
やっぱりどこに誰に行っても同じ答えしか返ってこなかった。
この解答がくることは分かってはいた。
ですが、すこし残念でした。
でも逆に解離症状で助かっているところもあるのでそれはありがたいところって思わざるを得なくなった。
他者から見たら虐待といわれるようなこともされてきたけど虐待とは言いたくないという少し綺麗事交じりの私の人情。
「特別な関係」だから、という言い訳を聞かされて収まっていいのかとモヤモヤしたもまま帰宅しました。でも、話を聞いてくださってありがとう。
…それにしても、私自身、「脳みそ」を使うこと特に「勉強」をしたいのですが体が受け付けなくて、失声状態にもなっていたりしていて。いつも通りの先延ばしが発生してます。
文字を打つこと、自分のことを書くことは全然余裕なのにな。
体が追いついてくれればなぁ…。
ネガティブな締めになってごめんなさい!
でも、元気です。
自己存在の決定に終止符を…!
『自分が分からない』。
私にはこの状態が少なくとも中学生の頃から続いていた。
この事で他人に全く迷惑をかけてこなかったつもりであったが(指摘を受けることが多かったが、それでも一時的)その分、自分自身だけでのダメージは莫大になっていった。
就職活動では、大切な生活史の一部が抜け落ちていたものの、
表の対人はとても元気で
最終面接まで軽いノリで進んでいくなど、順調っぷりを見せた。 【表】
しかし、対人では出すことのない“裏の自分”が精神的にダウンしており、動けなくなることが多くなった。
私の明らかに惰性が優位な生活をずっと、親からは怠けだと言われ続けてきていたのもあるし、(もともと褒めることをしない親だが)自分自身もそれが「当たり前」だと思ってずっと過ごしていたため、長時間放置した状態で毎日を過ごしていた。 【表】
⌛Now loading....⌛
―――『自分を知ること』、『自己分析』。
一方で、ここ数年の「裏の自分」は、
実はそれは自分の『病気』というか『障害』なのかもしれない(ともいえるかもしれない)という所までやっとたどり着いた。
これのためにやってきたことは論文5本、関連書籍は10冊以上読 了、その他個人的な録音、記録、撮影など。
ここ2年半でここまで来るのに本当の労力が掛かった。お金も掛かった。【裏】
(それの2年前くらいから親を親として見ていない位のレベルまで達していたが。)【表】
最終的に時系列で考えると、この4年間で
自分という人間のあり様にどんでん返しが2度3度。【裏表】
自分という存在の衝撃がかなり大きな精神的身体的経済的ダメージ、特に自己肯定感の低下を引き起こして散々だった。今まで息をしていた「私」は何者だったのかと。
挙句の果てには表の自分、裏の自分、更に周囲の人間すらも巻き込んだ。
幸い、精神科医の助言により救済された。
今の私には生きがいというものが「主治医と話すこと」であり、
かなり助かっている。
よく「厨二病」や「ファッション」「メンヘラ」と片付けられてしまい、他者から見ればいわゆるただの“痛い・落ちこぼれ”で終わるけれど 【表裏】
この自己存在の決定には絶対に精神科に通院が必要な
ほどの大きな問題であって【裏】
私にとってはそれが‟ソレ”で収まらないし
収めたくも無い。
早く誰かに私の自己存在の決定に終止符を打ってほしいと願うが、
それも私のやるべきことなのでかなりの時間を要するのかもしれないと 思う。
【参考資料(独自)】 ※使っているノートたち 【裏】
年の瀬。今年を大まかに振り返る。
2022.12.31
私自身の備忘録として。
2022年1月
社会生活を成す中で、もともと情緒が激しい方なので冬恒例の「布団から出られない現象」と闘ってた。(表舞台)
2月
親子関係に悩まされた結果、メンタルが限界に達し、いよいよ頭がおかしくなったんだという自覚を持つために近くの心療内科に自ら連絡したら、「初診は4月」といわれたため
その日を生きがいにして毎日ログインログアウトを繰り返した。一方、気性の激しい店長の下でアルバイトをしていた。
3月
自分の置かれている状況を鑑み、アルバイトをやめる。
(自分の中の生活ルーティンとして創造と破壊があるため、その破壊活動が本格化していた時期。~8月。)
国家資格を目指していたためそれの受験資格を獲得するために控えていた実習のための準備。
4月
2月に予約を取った心療内科へ初診。
他病院を紹介されたが、体が追いついていなくて思うように動けない自分を認めたくなくて薬を貰って社会生活を送ることに。
(主治医とそりが合わず、転院しました。)
5月
末日、実習スタート。アルバイトも再開。
6月
1月に社会生活を送っている時も怪しかったが、自分のメンタルの状態が限界に達したようで、周りに大迷惑をかけてしまったため自粛するために実習を辞退することに。
8月末まで自宅で休養。
4月にかかった病院とは別の病院に通院を始めた。
7月
精神科にかかる傍ら、
初めて脳神経外科を受診し、脳波とMRIを取ることに。(緊張した)
8月
薬を処方してもらいながら半狂乱でアルバイトをしていた。
9月
通院での治療(2週に1回)のため自分の体が崩れ落ちるかのように病態が日常化してしまい、半狂乱で社会生活を送る。
10月
せっかく始めたアルバイトをバックれ、療養に専念する方向にシフト。「親愛なる僕へ殺意を込めて」というドラマが毎週の生きがいだった。
11月
社会生活を送る中で主要な予定は押さえたうえでログインログアウトを繰り返す。
12月
大学病院精神科へ転院。11月同様の生活。
祖父が他界。。。
「自分が分からない」というしょうもない悩みを解決するために「表舞台」を意識せず自分一人で日記を書いたり、録音したり、紙に書き起こしたりしていた。
このことは、社会生活を送っている傍ら、自分だけの出来事として約2年半やっていた。
正直かなりしんどかった。かなり混沌とした日々だった。
某感染症が流行らなければこうならなかったのか、といわれても恐らく首をかしげることになっていただろうと思う。
それにしても、「セルフモニタリング」、よく頑張ってここまで手が入ったなと思う。
精神科に本格的に通い始めてから、友人もほとんど手放した。
どうしても、プラマイゼロにしか行きつかず、本当に辛い1年だった。
来年は、
その記録をこのブログに書き起こせたらいいと思う。