年の瀬。今年を大まかに振り返る。

2022.12.31
私自身の備忘録として。

2022年1月
社会生活を成す中で、もともと情緒が激しい方なので冬恒例の「布団から出られない現象」と闘ってた。(表舞台)

2月
親子関係に悩まされた結果、メンタルが限界に達し、いよいよ頭がおかしくなったんだという自覚を持つために近くの心療内科に自ら連絡したら、「初診は4月」といわれたため
その日を生きがいにして毎日ログインログアウトを繰り返した。一方、気性の激しい店長の下でアルバイトをしていた。

3月
自分の置かれている状況を鑑み、アルバイトをやめる。
(自分の中の生活ルーティンとして創造と破壊があるため、その破壊活動が本格化していた時期。~8月。)
国家資格を目指していたためそれの受験資格を獲得するために控えていた実習のための準備。

4月
2月に予約を取った心療内科へ初診。
他病院を紹介されたが、体が追いついていなくて思うように動けない自分を認めたくなくて薬を貰って社会生活を送ることに。
(主治医とそりが合わず、転院しました。)

5月
末日、実習スタート。アルバイトも再開。

6月
1月に社会生活を送っている時も怪しかったが、自分のメンタルの状態が限界に達したようで、周りに大迷惑をかけてしまったため自粛するために実習を辞退することに。
8月末まで自宅で休養。
4月にかかった病院とは別の病院に通院を始めた。

7月
精神科にかかる傍ら、
初めて脳神経外科を受診し、脳波とMRIを取ることに。(緊張した)


8月
薬を処方してもらいながら半狂乱でアルバイトをしていた。

9月
通院での治療(2週に1回)のため自分の体が崩れ落ちるかのように病態が日常化してしまい、半狂乱で社会生活を送る。

10月
せっかく始めたアルバイトをバックれ、療養に専念する方向にシフト。「親愛なる僕へ殺意を込めて」というドラマが毎週の生きがいだった。

11月
社会生活を送る中で主要な予定は押さえたうえでログインログアウトを繰り返す。

12月
大学病院精神科へ転院。11月同様の生活。
祖父が他界。。。

「自分が分からない」というしょうもない悩みを解決するために「表舞台」を意識せず自分一人で日記を書いたり、録音したり、紙に書き起こしたりしていた。
このことは、社会生活を送っている傍ら、自分だけの出来事として約2年半やっていた。
正直かなりしんどかった。かなり混沌とした日々だった。

感染症が流行らなければこうならなかったのか、といわれても恐らく首をかしげることになっていただろうと思う。

それにしても、「セルフモニタリング」、よく頑張ってここまで手が入ったなと思う。

精神科に本格的に通い始めてから、友人もほとんど手放した。

どうしても、プラマイゼロにしか行きつかず、本当に辛い1年だった。

来年は、
その記録をこのブログに書き起こせたらいいと思う。